2020-12-02 第203回国会 衆議院 科学技術・イノベーション推進特別委員会 第3号
その経過では、資料の二枚目の下にありますが、第一回総会の議事録、原案のこれまでの態度について、平塚英吉会員が、反省という中には戦争中のことが特に強く入っていると考えますに対し、亀山議長が、私もそう了解してよろしいと思いますとした上で採択され、議決されたものです。
その経過では、資料の二枚目の下にありますが、第一回総会の議事録、原案のこれまでの態度について、平塚英吉会員が、反省という中には戦争中のことが特に強く入っていると考えますに対し、亀山議長が、私もそう了解してよろしいと思いますとした上で採択され、議決されたものです。
○小野寺国務大臣 本件は、平成十八年十一月二十一日火曜日、真駒内駐屯地で実施されました、第一一師団、当時ですが、この支援連隊輸送隊の徒手格闘訓練において、同隊所属の一等陸士島袋英吉さんが、訓練相手の陸士長から投げ返されて背部から落下し、その際、後頭部を強打して意識不明となり、病院に搬送された、そして翌二十二日水曜日に死亡された事案でございます。
この裁判は命の雫裁判とも呼ばれ、徒手格闘訓練で死亡した自衛官は沖縄出身の島袋英吉さん、原告はその御両親であります。 この判決の受けとめは先ほど大臣からお聞きをしましたけれども、私は、この命の雫裁判で、長男を失った御両親のお気持ち、そして本件事件の内容に照らして、自衛隊の最高司令官としての大臣に、原告、遺族に対して謝罪の意思があるかどうか、尋ねます。
札幌地裁判決も、死亡した島袋英吉さんの訓練立ち会い上官及び指導教官らに、訓練に内在する危険から訓練者を保護するために常に安全面を配慮し、事故の発生を未然に防止すべき注意義務に違反する過失があったと判断しております。 大臣は、札幌地裁判決をお読みになりましたか。
平成十八年の十一月二十一日、真駒内駐屯地で実施されました、当時の一一師団、一一後方支援連隊輸送隊の武道錬成訓練において、同隊所属のシマブク、今先生、シマブクロとおっしゃいましたが、私どもが確認をしましたところ、島袋英吉一等陸士、当時二十歳が、相手の陸士長から投げ返されて背中の部分から落下をし、その後、後頭部を強打して意識不明となり、病院に搬送され、翌日死亡したということでございます。
陸上自衛隊真駒内駐屯地、これ北海道でございますが、そこに勤務をしていました島袋英吉、当時の自衛官でございますが、二〇〇六年の十一月二十二日に死亡をしております。それは徒手格闘訓練という、そういう名目で行われておりますが、十月十五日に真相解明を求める訴訟が札幌地裁で始まっております。 私は新聞でそのことを知りまして、現住所が沖縄市でございまして、市役所にも電話入れました。
松崎 俊久君 山本 保君 井上 美代君 清水 澄子君 西川きよし君 事務局側 常任委員会専門 員 大貫 延朗君 参考人 日本医師会副会 長 糸氏 英吉君
○参考人(糸氏英吉君) 確かに、西川先生御指摘のように非常に複雑、非常に残念でございます。もっと簡便にやるべきだろうとは私も思っております。しかし、これはいろいろないきさつからこういうことになって、できるだけ成立するまでに単純化する方向でこれは御努力願いたいという気持ちは全く一緒でございます。
全国市長会介護保険対策 特別委員会委員長) (大阪府守口市長) 喜多 洋三君 参考人 (日本労働組合総連合会政 策グループ長) 村上 忠行君 参考人 (全国保険医団体連合会副 会長) 室生 昇君 参考人 (日本医師会政策担当副会 長) (日本医師会総合政策研究 機構所長) 糸氏 英吉君
午後は、主に医療法等の一部を改正する法律案について、参考人として、日本医師会政策担当副会長・日本医師会総合政策研究機構所長糸氏英吉君、医事評論家行天良雄君、NPO大阪精神医療人権センター代表理事・弁護士里見和夫君、医療法人財団天心堂へつぎ病院理事長松本文六君、以上の方々に御出席をいただいております。 この際、参考人の方々に一言ごあいさつを申し上げます。
○公述人(糸氏英吉君) 小児の場合は、老人とか一般の方とは違いまして短期的な投薬が非常に多いという、長期的投薬は比較的少ないという面から見まして、特に修正案は合わないということは確かだろうというふうに思っております。
○公述人(糸氏英吉君) 多少は、政府原案から修正案に至るまでゼロ区分ができたということ、あるいは二百五円ルールができたというようなこと等につきましては評価しております。
○公述人(糸氏英吉君) ちょっとお尋ねしますけれども、何をどういう形にというのは……。
厚生政務次官 鈴木 俊一君 委員外の出席者 参 考 人 (山形県最上町 長) 中村 仁君 参 考 人 (日本労働組合 総連合会事務局 長) 鷲尾 悦也君 参 考 人 (日本医師会副 会長) 糸氏 英吉君
ただいま御出席の参考人は、山形県最上町長中村仁君、日本労働組合総連合会事務局長鷲尾悦也君、日本医師会副会長糸氏英吉君、一橋大学名誉教授・国立社会保障・人口問題研究所所長塩野谷祐一君、日本経営者団体連盟社会保障特別委員会医療政策研究部会部会長若杉史夫君、慶応義塾大学医学部教授池上直己君、全日本民主医療機関連合会事務局長八田英之君、千葉大学法経学部経済学科助教授広井良典君、以上八名の方々であります。
次に、糸氏英吉君にお願いいたします。
長 全国市長会社会 文教分科会委員 長) 喜多 洋三君 参 考 人 (大阪府枚方市 役所福祉保健部 兼高齢者福祉課 長) 上谷 好一君 参 考 人 (日本医師会副 会長) 糸氏 英吉君
本日御出席の参考人は、皆様方の右側の方から、大阪府守口市長・全国市長会社会文教分科会委員長喜多洋三君、大阪府枚方市役所福祉保健部副参事兼高齢者福祉課長上谷好一君、日本医師会副会長糸氏英吉君、有料老人ホーム「グリーン東京」社長滝上宗次郎君、全国デイサービスセンター協議会会長・全国在宅支援センター協議会会長・全国老人福祉施設協議会顧問(前会長)岩田克夫君、財団法人地方自治総合研究所理事・政策研究部長池田省三君
続きまして、糸氏英吉君にお願いいたします。
今の会長は庄司さんでありますけれども、おたくの初代会長の松岡英吉さん、私ども本委員会におりまして、このカード導入の問題についてはその当時からいろいろ議論してきたわけですが、そういう時代からこのカード導入の三人の中のお一人として松岡さんも大変な努力をされたというふうに、実はそんなことも聞きました。
○証人(竹下登君) いや、今まで高橋英吉先生の関係もよく存じております。お久しぶりですと言いたい気持ちでございますが、先生、そこのところは、ことほどさように青木君を私が信頼しておったわけでございますから、そのように御理解をいただきたいものだと思います。
金森さんはそこまで入れなくてもよかったんだというあれがあって、高橋英吉さんが質問して芦田委員長がまとめた答弁というか、意見を述べておるということですけれども、どうして四十条が入ってきたのか、そこのところですね。
そこで、御指摘のありました高橋英吉委員の質問の要旨といいますものは、要するに無罪者に対する国家の賠償制度の規定がない、しかも、旧刑事補償法でありますけれども、非常に制限された補償であって、制限された状況のもとに補償金が払われているけれども、これでは到底国家が賠償するという趣旨には適していない、したがって憲法に人権擁護規定とともに補償に関する規定を置く必要があるというような質問をしているところであります
当時の委員長は高橋英吉さんでございまして、私は初めて第三十四国会の二月四日に公職選挙の特別委員となりました。引き続き第三十七回国会の十二月十三日に公職選挙の委員となり、十二月十四日に互選によって当委員会の理事になりました。自来、政審会長をしておったときに抜けたことがあるかもわかりませんが、今日までほとんど連続して公職選挙の委員をやっておるということでございます。
高橋英吉さんあたりはむしろこれは反対でした。尾崎行雄も反対でした。当時における考え方というのは非常に旧憲法に支配された人々が多いのです。天皇の統治権を総攬する、それを制限するという旧憲法との連続性を考えている連中がどっちかというと七条を支持したわけです。新憲法の理念に重点を置いた人は六十九条解散を言ったわけです。
労働省職業安定 局長 北川 俊夫君 委員外の出席者 参 考 人 (住友ゴム工業 株式会社会長) 下川 常雄君 参 考 人 (全北海道労働 組合協議会議 長) 田村 武君 参 考 人 (士別市長) 國井 英吉君
本件調査のため、本日、参考人として住友ゴム工業株式会社会長下川常雄君、全北海道労働組合協議会議長田村武君、士別市長國井英吉君、全日本労働総同盟生活福祉局長小寺勇君及び地元で働く仕事と九十日給付を要求する北海道連絡会代表委員岡本正巳君、以上五名の方々に御出席いただいております。 この際、一言ごあいさつを申し上げます。
海軍武官の趙英吉という方でありますが、この方も、八月十日に羽田から、再入国許可を取って出ておられます。二等書記官の領事の韓京鎬という方ですが、八月十八日に羽田から出ておられます。なお、この方は、九月七日に、家族二名、使用人一名が羽田から出ておられます。二等書記官の副領事の方で、柳春国という方ですが、この方が、九月六日に伊丹から出ておられます。
昭和四十七年十一月八日(水曜日) 午前十時四十二分開議 出席委員 委員長 谷川 和穗君 理事 大竹 太郎君 理事 小島 徹三君 理事 田中伊三次君 理事 高橋 英吉君 理事 羽田野忠文君 理事 中谷 鉄也君 理事 沖本 泰幸君 奥田 敬和君 石井 桂君 大坪 保雄君 鍛冶 良作君 島村 一郎君 羽田 孜君
高橋英吉君。
委員長 谷川 和穗君 理事 大竹 太郎君 理事 小島 徹三君 理事 田中伊三次君 理事 高橋 英吉君 理事 羽田野忠文君 理事 中谷 鉄也君 理事 沖本 泰幸君 理事 麻生 良方君 石井 桂君 大坪 保雄君 鍛冶 良作君 河本 敏夫君 島村 一郎君 千葉 三郎君 中村 梅吉君 福永 健司君
昭和四十七年九月十二日(火曜日) 午前十時三十二分開議 出席委員 委員長 谷川 和穗君 理事 大竹 太郎君 理事 田中伊三次君 理事 高橋 英吉君 理事 羽田野忠文君 理事 中谷 鉄也君 理事 沖本 泰幸君 理事 麻生 良方君 石井 桂君 鍛冶 良作君 福永 健司君 村上 勇君 勝澤 芳雄君 河野 密君
委員長 松澤 雄藏君 理事 大竹 太郎君 理事 小島 徹三君 理事 田中伊三次君 理事 高橋 英吉君 理事 羽田野忠文君 理事 中谷 鉄也君 理事 林 孝矩君 理事 麻生 良方君 石井 桂君 大坪 保雄君 鍛冶 良作君 河本 敏夫君 島村 一郎君 千葉 三郎君 中村 梅吉君 中村庸一郎君